舛添知事はなぜ辞職に追い込まれたのか

 「文春砲」の炸裂で幕が開いた舛添知事の公私混同劇場。小渕優子元経産相の政治資金虚偽記載疑惑の検証第三者委員会の委員長をつとめた「まむしの善三」こと佐々木善三弁護士(元東京地検特捜部副部長)を起用した知事の危機戦略(違法性なしを切り札に問題を先送りして辞職を回避するシナリオ)は完全に裏目に出た。

第三者委員会の「違法ではないが不適切」の結論は、逆に都民(国民)の怒りを増幅させ、火に油を注ぐ燃料投下という想定外の皮肉な結果をもたらした。そもそも今回の主題の政治資金規制法違反については、虚偽記載のリスクを別にすれば違法には当たらないことは自明の理であった。問題は違法か適法かでなくその焦点は知事の公私混同が許容できる範囲のものか、社会的常識に照らして許されるものかにあった。合法性ではなく政治家としての倫理性を問うことが主題であった。

知事は批判が強まる中、外部の弁護士による客観的な立場での透明性の高い検証を主張し、検証の結果「違法ではない」とのお墨つきを得て一部不適切なものについては謝罪し、返金、給与カット、別荘売却等の対応で辞職は避けられると考えていたのではないか。今回の失敗は何が問題の焦点なのか、国民の怒りの原点は何かという、ことの本質を見誤ったことにある。外部の第三者という利害関係のない立場で調査する第三者調査委員会は、依頼者は勿論のこと、全ての関係者からの独立性が完全に担保されることが不可欠である。今回の委員会にはこの独立性に疑義が感じられたことが問題を一層複雑にし、調査結果の信頼性を毀損することにつながった可能性がある。

 

小渕優子議員との差異

同じ弁護士を起用しながらなぜ小渕氏は議員辞職を免れ、知事は辞職に追い込まれたのか。その要因の大部分はメディア報道の違い(報道内容より報道量と報道期間)にある。まず奔流のような圧倒的なネガティブ報道量と長期化した報道期間が辞職に追い込んだ大きな要因である。なぜ、これほどの長期間の圧倒的なボリュームの報道になったのか。まず、知事のメディア登場機会の多さ、とくにTV映像(質疑応答中心)シーンの長さが最も大きく影響した。週1回の定例会見に加えて都議会での質疑応答シーンが報道の中心になったが、最近はワイドショーやTVニュースのキャスターが会見で自番組向けのTV受けを狙った意図的な発言(質問)が恒常化し、記者の挑発的な過激なやり取りの映像が、視聴者の注目度をますます上げ、一種の集団ヒステリー状態が出現していった。

知事は都議会への出席を拒否することもできず、定例会見中止も一層強い批判を浴びるのではとの予測から中止に踏み切れない。結果、メディア登場の機会の多さと圧倒的なボリュームでの報道が知事を追い込んでいった。

 

TV映像は直感的印象が強く影響

TVは「視聴率がすべて、視聴率命」の世界。舛添知事報道(ワイドショー、TVニュース)は視聴率が高かったそうだ。TVメディアは視聴率が高ければ、翌日も、さらにその翌日もと報道⇒高視聴率⇒報道⇒高視聴率のスパイラルに入っていく。こうした流れの中で総マスコミ報道状況(メディア全体が同じ報道スタンスで集中的に同一問題を報道する状況)が出現する。こうした状況になると舛添叩きの多数派の意見と違った異論は表立って言えない雰囲気になってくる。人は自分の意見が多数派だと分かれば安心してますます声高に主張するが、少数派と感じた時は沈黙してしまうという傾向があり、これが「沈黙の螺旋」理論である。こうした状況下、結局、「許せない」「けしからん」という一方的な怒りの声だけが、マスメディアで報じられ、誰も止められない巨大な奔流になっていく。今回は「沈黙の螺旋」理論が働いた典型的な事例と言う人もいる。

辞職表明後、知事の映像は都庁を出て足早に車に乗り込むまでのきわめて短いシーンだけになった。説明責任を果たさないとの批判の言葉も時間の経過とともに色あせたものになり、いずれ消えていく。ネガティブな案件のメディア報道における単純だが重要な対応原則は、情報公開の義務を果たした上で、極力、メディアの露出機会を少なくすることだ。今回の事例はこの対応原則の有効性を証明した。

 

戦術では勝ち、戦略で失敗した舛添知事

今回の数多くの会見や都議会での質疑応答で知事は少なくとも決定的な失言はせず、官僚的答弁に徹して、会見、議会という限定された戦場では技術面ではミスは犯していない。しかし、先述したように「違法ではない」との第三者委員会のお墨つきで切り抜けるという大局的な戦場、つまり戦略面では完全に失敗した。

知事と第三者委員会の弁護士が同席した会見設定自体が問題だとの声もあるが、弁護士の「違法ではないが不適切」の繰り返しと、あの感じの悪さが問題であろう。TVは人の感情をリアルに伝えるメディアである。論理よりも印象がモノをいう世界である。

 

謝罪のルール

文春が報じて問題化した初期の段階では、知事は謝罪をするという意識は薄かったのではないか。そもそも本音ではこの程度のことは問題ではないという気持ちが強かったと思われる。

文春報道について5月13日の記者会見で知事は「不徳の致すところ」「心からお詫び」と謝罪の文言は使っているが、個別案件の多くについて「法律上問題がない」との言い方に終止している。受け手からは「悪いことをしたと認めない」「弁解と正当化だけを主張している」と映った。この両者の認識のギャップが問題の根源にあったはずだ。そもそもリスク評価が誤っていれば危機管理が成功するはずはない。さらにいえば謝罪会見の意味、位置づけが十分に理解できていなかったことも失敗の要因の一つであろう。謝罪会見はそもそも法律上の問題(適法性)を争う場ではない。受け手の印象やイメージを争う場、論理よりも印象、感情が決め手となる世界である。「法的に問題はない」「違法ではないが不適切」といった法律的判断を謝罪会見で言うことはそもそもタブーである。最も重要なことは、率直に、正直に責任を認めること、何が問題だったのかを示すこと、その前提として受け手と同じ目線、同じ気持ちに立って価値観を共有することである。受け手からこの人は違った世界で生きている人と見られたらコミュニケーションは成立しない。次に受け手が納得できる解決策(再発防止策)を提示して、許しを求めることである。決してやってはいけないのは自分の行動の正当化、弁解、責任を認めないの三点である。

 

篠崎良一

篠崎良一

共同PR(株)入社以来、危機管理広報コンサルティング、危機管理広報研修を担当。
リコール、企業不祥事、内部告発など数多くの危機管理実務、コンサルティングを実施しています。
著書に『実戦企業広報マニュアル』、『会社を守る!もしものときのメディア対応策』(共にインデックス・コミュニケーションズ)『広報・PR概論』(共著、同友館)『広報・ 『広報・PR実務』(監修、同友館)。
日本広報学会会員、(社)日本PR協会認定資格『PRプランナー』試験委員。