8月28日、自民党総裁 安倍晋三首相が辞任を発表しました。コロナウイルスならびにインフルエンザなどの検査体制の強化、重症化リスクの高い患者への重点策、また北朝鮮を見据えた安全保障問題の与党調整について述べたうえで、「私自身の健康上の問題についてお話をさせていただきたいと思います」と語りました。
総理大臣の職を辞することといたします。
安倍首相は、13年前、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、1年で辞任。それから再選され、およそ7年半にわたる長期政権を実現しました。しかし今年8月上旬に潰瘍性大腸炎の再発が確認され「体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません」、「国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました」と述べて辞任する旨を発表しました。
なぜ今かという点については、「7月以降の感染拡大が減少傾向へと転じたこと、そして、冬を見据えて実施すべき対応策を取りまとめることができたことから、新体制に移行するのであればこのタイミングしかないと判断」と説明。そして「コロナ対策、政治に空白を作らない」ことが重要であると強調し、これらの訴えは行政府の最高運営者としての説得性をもちました。
日本社会における大きなインパクト
歴代最長となった安倍政権。立憲民主党の枝野幸男代表は、この首相辞任表明を受け、療養、健康回復への祈念を述べた上で「一強の政権が終わるということは、日本社会において政治だけではない、大きなインパクトがある」と発言しました。
米、英、露、台湾、韓国といった海外の首相が安倍首相のこれまでの功績を称える報道がなされています。
「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」
一方で、立憲民主党の石垣のりこ 参議院議員は、自身のTwitterに「総理といえども『働く人』。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。が、『大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物』を総理・総裁に担ぎ続けてきた自民党の『選任責任』は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます」と投稿。
この“大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物”という表現が、病気の人への配慮が足りないと各方面から避難され、炎上します。枝野幸男代表はすぐに「申し訳ありません。執行部として不適切であるとの認識を伝えしかるべき対応を求めました」とTweet投稿。
石垣のりこ議員は続いて「先ほど福山幹事長より『”大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物”という表現は、不可抗力である疾病に対して使う言葉として不適切である』とご指摘を頂きました。確かにこの箇所の表現に、疾病やそのリスクを抱え仕事をする人々に対する配慮が足りなかったと反省しお詫びします」との謝罪Tweetを投稿しました。
ことのはの難しさ、Tweetによる真逆の解釈
情報を取り扱う広報PRにおいて、危機管理は常に日常と表裏一体です。なぜなら、ふだんの行い、発言、存在が評判や信頼に直結するからです。そして評判も信頼も、築くのには時間がかかりますが、崩れ落ちるのはあっという間です。
病気とつきあいながら、長きにわたり総理大臣を務めた安倍首相にねぎらいの声がかかって然るべきでしょう。それを認めながらも言葉の暴力に発展してしまった石垣のりこ議員の真意は何だったのでしょう。
件の発言後、報道機関からの問い合わせを受けて石垣のりこ議員は、所感を投稿しています。その概要は、「いかなる身体的特性、疾病があろうとも、『就労の自由』は基本的人権で絶対的に擁護されるべきもの」「あらゆる職域・あらゆる地域で、「身体的特性や疾病で、本人の就労意思が阻害されない、強くたおやかな社会」を構築するため、今後も引き続き職務に邁進して参ります」というものです。
つまり、疾病がある人に寄り添う、多様性を重視する発言を意図していたにも関わらず、Twitterという短時間、短文で拡散するプラットフォームで真逆の解釈を生む言葉を発信。全国から批判が殺到、炎上に陥ったのでした。
政党を語ること VS 政治を知ること
この 石垣のりこ議員の失言の裏には、 立憲民主党員として、自民党を批判しようとした意図が見てとれます。そしてその失言の重さを受け止めた立憲民主党代表がお詫びし、これが石垣のりこ議員自身の謝罪につながっています。
ここで広報PR観点から考えさせられるのが、「政治家である前に人間である」ということです。
コロナ対策で国家の舵取りを評価されている政治家たちは、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相、台湾のオードリー・タン デジタル担当大臣など、人間味あふれる思いやりの発言を通して支持されています。人間性が透けて見えるソーシャルメディアの時代、発信は、ただの「言葉選びの誤り」とは理解されません。むしろ、「人間としてのありかた」が良くも悪くもそのまま伝わってしまうのです。
今回の安倍首相の会見は、理論的であり誠実さも伝わりました。記者からの「今回プロンプター(原稿を表示する装置)を使っていないのはなぜか」という質問に笑みを見せ、「今日はぎりぎりまで原稿が決まっていなかったということもあり、私も推敲しておりましたので、こうした形になりました」と説明。発言を吟味する人間らしさを感じます。
また、総理大臣に必要な資質を問われ、「総理大臣というのは独りでできる仕事ではなくて、私がここまで来られたのも、至らない私を支えていただいた多くのスタッフの皆さんや多くの議員の皆さんや、そういう方々がいて何とかここまで来ることができました」「ですから、そういうやはりチーム力ということも大変重要ではないか」と自らの言葉で述べています。
仕事の上で必要なチーム力は、政治でもビジネスでも同じなのです。
筆者は時おり、有志の東京都議会議員が主催する政治の勉強会に参加します。そこで学べるのは、広報PRの教科書ではなく、生々しい活きたコミュニケーションです。政治を国民の身近にしよう、もっと政治を良くしようとする志のもとに、どうしたら伝わるかを日夜研究。広報PRの枠を超えた、人間の本質を目の当たりにします。
人生の折り返し地点でもなお思うのが、わたしたちはもっと政治を知るべき、ということ。政治は社会経済、生活、外交、あらゆる側面に影響をもたらします。決して無関心ではいられません。自分の支持政党がどこであれ、政権から学ぶところ、もしくは改善したいところがあるはず。
多様性の大切さを失言でゆがめるのではなく、人として誠実に伝える。それが、広報PRを生業とするか、危機管理がジョブであるかに関わらず一個人として、前に進みコロナを超えるきっかけ作りになるのです。
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