労働力の不足とともに増える外国人就労の影で、外国籍の子どもへの日本語教育のひっ迫が問題視されています。少子高齢化への解決策として外国人就労を歓迎する日本の表向きをよそに、その家族へのケアが見落とされているのです。言語という、人間の表現の根源となる手段の支援が不足しています。
その点、アメリカにおける外国人への英語教育は浸透しています。共同ピーアールでPR支援にあたる筆者が 30年近く前、 ニューヨーク北部で通った大学にもそのESL部門がありました。そこで必須だった異文化クラスを取り、アメリカの現状とさまざまな国の違いを知ったことを今でも覚えています。
自分自身、ジェンダーギャップに怒りを覚えたり心療内科のサポートを受けながら仕事をしていたり、多様性は千差万別と理解し、調和の尊重にはひと一倍気を遣っている「つもり」です。にも関わらず、無意識に偏見が沁みついていることに気づかされます。自分の美の基準に踊らされ、それに合致しないと排除しようとする、「ルッキズム」は根深い。人間だれもが視覚に映る身体、見た目の違いに反応して「自分と違う」「言語は通じるだろうか」などチラッと不安がかすめるのです。
パンデミックで鬱屈が溜まるとき、その偏見対象となる人がはけ口に使われています。女性蔑視、外国人バッシング、少数者差別、世界中で枚挙にいとまがありません。
しかし、自分の中の偏見を認識することで、不安や怒りを実はプラスに転換できます。どう言われたら相手が快適か、あるいは嫌な思いをするか。それが十人十色であることを、少しずつ日常のなかで学習することで、自分なりの脳内データベースができます。それをもとに地道に行動して、ふとした言動や行動に潜む否定「マイクロアグレッション」を少しずつ身の周りから排除することができるのです。
ニューヨークでは今、外を1人で歩くのが怖いという人のために、一緒に道を歩いてあげるエスコートのボランティア活動が組織化されているといいます。1月に発足した団体「SafeWalks NYC」には、ボランティアが2000人近くも集まっているとのこと。わたしも4月のIABC Converge 21では、南アフリカのホスト相手にボランティアでビデオ出演しました。肌や髪の色がみな違っても誰も不安にならない、安心できる善意のコミュニティに救われています。
暴力や駄言など、あるまじき攻撃を止めるためには、自分を見つめ直す認識と、人を思いやる善意が、混乱する情報の浄化、そして救いにつながります。そのために企業のコミュニケーションを支える共同ピーアールは、企業、報道機関、様々なステークホルダーとともに日々、精進しているのです。