PRを考えることは、広報と広告を判別することにつながります。 先日取り上げた、日本マーケティング協会の出版イベントは、PR会社で働くわたしにとっては気づかなかった視点があり、非常に満足しました。 さらに 『嫌われモノの〈広告〉は再生するか』~健全化するネット広告、「量」から「質」への大転換 (境治著、イースト・プレス 刊) を熟読、PRへのヒントがありました。
「日本のPR特殊論」の歩き方
コロナになりオンラインイベントやウェビナーが飛躍的に増えています。中でもパブリックリレーションズ(PR)や パブリックアフェアーズ(PA)領域のイベントは、さまざまなレベル感のものがあります。際限なくイベントを開催できる反面、参加者とセッションのミスマッチも生じやすいのです。
PRを語る時によく焦点になる、「PRは戦後、アメリカから持ち込まれた概念だが、日本ではメディアリレーションズにのみ重きが置かれて偏っている」という議論。わたしは実は半分、違和感を覚えます。
半分、というのは、前半の概念については歴史的事実。しかし後半のメディアリレーションズ議論は、組織における実務の全体像を捉えきれていない。 日々、グローバル規模でさまざまな組織のコミュニケーション実情を見ていると、”偏り”という表現がやや乱暴に感じるのです。
なぜなら、ある程度の規模の組織では、外部向けコミュニケーションの業務分担が、
●「広告」を中心にしたマーケティング:宣伝や販促
● 「広報」を中心にしたメディアリレーションズ:PR
とざっくり分かれてます。そして、社内広報(インターナル、エグゼクティブ、チェンジマネジメントなど)、その他のステークホルダー(ガバメント、インダストリー、コミュニティなど)と連動しながら専門的に動きます。
それぞれに
企業内担当者(インハウス)と代理店(エージェンシー)
がその道のプロとして存在します。各々が上述のとおり対政府や社会、社内といったステークホルダーごとのコミュニケーションと連動して、相乗効果を狙います。これをひっくるめたのが広義のPRです。
もちろんごく少人数の組織であれば、全員が複数のタスクを抱えるため区分けが少ない。しかし、グローバル展開する組織になると、それぞれの担当者が職務の品質を極めることで、全体最適化につながる構造になっているのです。 各社が、この全体像を機能させるための人材配置、評価の仕組みを工夫しています。
そのため、「PR議論」が始まったら、どの立場、視点で語るかで、何が最適かが変わります。
筆者を含む、IT専門、グローバル組織のエージェンシー業では、メディアリレーションズのPRが主。もちろんキャリアを積む上でマーケティングや経営の勉強会が必要、知識の吸収やディスカッションは必須です。が、お客様に評価や対価をいただけるのはあくまでもメディアリレーションズが主。それが現在のニーズです。
その事実をないがしろにしては、机上の空論または各論。浮気ばかりで本命の仕事ができません。
PRも「広告」という文脈
おまけに、「PRという言葉が何を指すか」も、ケースバイケースでまったく異なります。冒頭紹介した書籍で著者 境氏は、公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会(JAA)に丁寧に取材。人を感動させる、メディアを成立させる、人と企業を結び付けるはずの広告が課題に直面するなか、初心に立ち返るための努力を続けています。
この広告文脈でいうところの「PR表記」とはあくまでも、「企業がスポンサーになって広告費を支払っています」と示すもの。PR会社が行うメディアリレーションズ(広告費のやりとりはなく、ニュース価値によりメディア露出を促進する取り組み)とは異なります。
そして企業でもメディアでも、エージェンシーでも、多くの場合その両方を取扱います。これは実にややこしい。しかし誰もが、自分の役割と全体像をみて、瞬時に判別しながら、担当するしないを判断して動いています。実務をやってないと肌感覚で分かりづらいところです。
これに加えて、パブリックリレーションズから生まれた「広報」という言葉が、また文脈を複雑にします。一般には、上述の違いを頭の片隅に置いておけば「PRといえばだいたいプロモーション全般」といった会話がまま成り立ちます。
しかし「広報」(外資の場合はコーポレートコミュニケーション)というと、「情報をコントロールする部署」というイメージが付きまとう。事実、自分がインハウス広報として職務にあたる場合と、取材や登壇の際に同席してもらう場合とでは、立場が真逆になります。
このため、とくに広告やTVのようなエンターテインメント性を重視する現場では、窮屈に聞こえる「広報」という言葉は、いったん そっと横に置いておかれます。ここでは広報は、最後の情報解禁の砦、といった分業、控えめな位置づけなのです。
参考記事:PRとはなにか ~PR会社の現場から(グローバル)~
「広告と広報」のガラパゴス化に注意
広報を学ぶ者は、まずこの「広報と広告」の違いを修得します。しかし時に、広告について不勉強なまま、「広報は広告と違う」と言い放ってしまいがち。
自分のスキル向上に専念するのは良いことです。 とくに若いうちは許される。こうしてだいたい3~5年ほどPR職を務めれば、汎用的なスキルが身に付きます。問題はそれからです。
上述の著が描く通り、広告市場は大きな資金、組織、メディア、技術があってはじめて成り立ちます。それに影響されながら、重なり合いながら動くのがPR市場。PRパーソンが磨くスキルは、社会、業界、メディア、ユーザーの動きを見ながらニュースを見極めて伝える技術です。それは、同著が掲げる「広告の志」と共通します。
だからこそ、「広報と広告」の教科書的な違いと同時に、関係性、将来像を探りながら自分の職務にあたらないと、全体像が見えません。木を見て森を見ず、化石かガラパゴスになってしまいます。
広告と広報を考えることは、経済の入り口にあたります。自分の仕事を磨きながら、視野を広げる、視座を高める努力が必要。
自分の成長が鈍りはじめたと感じたら、「広報とは」ととうとうと語る前に、PRの外に学びに行った方が良いかもしれません。
参考記事:日経XTECH ACTIVE 「セールス&マーケ KPIを基に高速サイクルを回す「リーンPR」